インディペンデント映像の場 土屋 豊×水由 章×山崎陽一(下)

 『この数年、 映画館はかつてない環境の変化にさらされました。テレビやビデオで映画を見るスタイルが定着した現在、映画館で映画を見るということは、映画の見方の選択のひとつでしかなくなってきています。こうした時代に新しく作られる映画館はどうあるべきか。』(BOX東中野パンフレットより抜粋)

 BOX東中野は 1994年9月に“新世代ミニシアター”を謳ってオープンした。キャパシティー102席。上下可動方式のスクリーンとメイヤー社のスピーカーシステムを採用し、大画面と高性能の音像空間を実現した。ビデオプロジェクターも設置しており、インディペンデント系の作品やドキュメンタリーなど、斬新な企画でプログラムを構成している。

  • 山崎陽一(やまざきよういち)プロフィール
  • BOX東中野代表、(株)BOX OFFICE代表 1955年青森生まれ。
  • 1977年寺山修司主宰「天井桟敷」に入団。舞台監督を務めると共に、同氏の映画制作に参加。
  • 1982年ユーロスペースに入社。同社支配人、プログラムディレクター。『アンモナイトのささやきを聞いた』(92)『ぷ』(94)ではプロデューサーを担当。
  • 1993年ユーロスペース退社。1994年株式会社BOX OFFICEを設立。

――ぼくらはビデオを扱っていて、ビデオにとっての新しい場を考えていこうとしているわけですが、山崎さんはもちろん、ずっと映画に携わってこられて、このBOX東中野を造られたわけですが、近年の映画館の変化も含めて、映画館という場について、どうお考えなのでしょうか?

山崎  BOX東中野というネーミングからいきますと、箱のわけですが、それは映画に限らず、映画的なもの、映像と言われているものを取り込んでいけるような場所を造りたかった。そのひとつがビデオです。スライドなんかも考えていて、映像ならなんでもできるような場所を目指していました。映画と映像というのは厳密にいえば違うんだろうけれども、面白ければいろんなことをやってみたかったんです。このところ8ミリ映画がとても作りづらい状況になってきているし、それに替わるものとして、ビデオが欠かせないだろうという意識もありました。たとえば自主制作で、お金がないからビデオという選択がありますよね。ぼくはそれも方法論のひとつだと思うんです。そしてフィルムでなくてビデオを使うのだったら、その中で、ビデオ的な何かがあるだろうし、それが新しい表現として出て来るのではないかという期待もありました。

――ぼくらもビデオアートという表現から出発したのですが、最終的には映画であるか、ビデオであるかが大きな問題ではなくなると思っています。若い人たちにとっても最初のステップとしてビデオがあって、それからできれば映画を撮りたいという意識で、ぼくら程にはこだわりがないと思うんです。

山崎  そうですね、どちらでもいいんですよ。興業的にいえば、最初にお金を取ってビデオを見せるというときにずいぶん悩んだんです。お客さんがビデオにお金を払うだろうかということ、それからビデオ作品を映画と言っていいのかということです。でも、今は言ってもいいと思いますよ。お客さんも、特に若い人はこれがビデオだからフィルムだからという意識はなくなってきていると思います。

――山形のドキュメンタリー映画祭などを見ていても、最近はずいぶんビデオ作品が多くなってきていますね。

山崎  実はビデオ設備を入れたひとつの理由は、ドキュメンタリーにはビデオ作品も多いということがありました。ここはドキュメンタリーのプログラムが多い映画館なんです。映画の場合、普通は公開までにいろんな手続きがあるのですが、ビデオの場合は、もっと監督と直に交渉できるケースがあるんじゃないかと思うんです。

――山崎さんは特にドキュメンタリーについて思い入れがあるのですか?

山崎  見れば面白い作品がいっぱいあるんです。興行的にもドキュメンタリーは難しいと思われていますが、実はそうではなくて、サイズは小さくてもコアになる客層はあると思っています。むしろ興行的に堅いとすら思っています。ドキュメンタリーは一般的にタイトルで中身のわかるものが多いでしょう。つまりどういうお客さんに見てほしいかというのが伝えやすいんです。宣伝についても作品の情報が届くべきところにきちんと届けばいいんです。サイズを見誤らければこれは興行的には有利ですよ。

――BOXでは具体的に作家を支援したりするということがあるんですか?

山崎  作家を支援するということは、作品を世に出すことだと思うんです。ですから、まず作品があるということ。そしてそれを作った人の次の作品も見たい、紹介していきたい、というのはあります。

――作品を決める根拠というか基準のようなものはあるんですか?

山崎  面白いかどうかということでは個人的な感覚に拠るところが大きいのですが、もう少し建て前として言えば、今それを上映することで新しい発見があるかどうかということです。それはジャンルを超えていてもいいし、面白いというのはそういうことだと思いますよ。もちろん、その作品を夜やるのか、朝やるのか、どのくらいの期間やるのかというのは考えます。レイトショーというのも、もともとアメリカで、夜中だけしかやっていない映画があったりして、夜だから面白い映画というのもあるんです。
 その頃はカルトムービーと呼ばれていましたけれども、極端に言えば、昼と夜は別の小屋という考え方ですよね。作品の雰囲気がうまく伝わるように、映画をかける時間を考えるというのはあります。このところ、昼間かけられないから夜にまわすとか、ビデオ発売のアリバイ作りみたいにして、夜ちょっとやったとか、そんな例も聞きますけどね。作品にふさわしい時間にかけるというのもひとつの支援だと思いますよ。だから作る方も意識してほしいですね。

――BOX ではビデオの販売は……

山崎  してないです。やりたいとは思っているんですけど、お金がかかることだし、ここは劇場なので、配給会社と違って作品を抱えてないですから。ここで上映してビデオになっていないものを、BOXレーベルという形でやらないかという話も頂くんですけど、今はまだやっていないです。

――ぼくらの作品がまとまった形で、BOXで公開されるという可能性もあるんでしょうか?

山崎  面白かったらやりますよ。面白ければということしか言えないんですけれども、可能性はありますよ。極端にいえば作品が面白くなくても全体の企画が面白ければそれも‘あり’でしょう。トータルな見せ方が面白いというのはあると思います。たとえばトークが面白いとか。

――トークといえばこちらでは頻繁にトークイベントがありますが、それは作った人に話をさせようということですか?

山崎  作品が語り切れていないからということではなくて、見ることで作った人に対する興味をひく作品もありますよね。どういう思いで作ったのかを聞いてみたいとか。興行的にはトークはお客さんが入りますよ。賑やかになるので、元々そういう場にしたかったということもあるんです。

――ぼくも作品というのは、作って、見せて、そのことについて語るということまで作品だと思っているんです。ビデオの作者もそういう意味では、特に日本では自立していなかったと思います。どっかの賞に入ればそれで終わりといってような感覚があって、そこで作品という行為は終わってしまう。

山崎  うちではそれはテーマみたいなものですね。作った後を考えていない作品が多いですから。自主制作だとか卒業制作でも、作っておしまい、それで、たまたま面白かったから公開した、というものがほとんどです。チラシを作るのにも写真がないとか、具体的にはそういうことですよ。とんでもない勘違いがあって、映画を作った後のことは映画館がやってくれるんだと思っている人がときどきいます。見せるところまでふくめて作品でしょう。

――ぼくらの上映会のトークで太田 曜さんがフランスの自主映画制作のグループをいくつか紹介してくれたんです。彼らの活動というのが、自分たちで16mmの自家現像のシステムを持っていて、それを有料で貸していたり、自分たちの映画館を作って飲み物を売って資金にしたりしていて、自主制作という考え方が成熟していると思ったんです。彼らは自立していこうという意志がはっきりしている。

山崎  ぼくがユーロスペースにいたときは、自主制作をレイトでやるといったときに、必ず、宣伝とか配給の基本的な仕事は作った側にやらせましたよ。試写会をセッティングしてその反応から宣材づくりをやるとか、ひと通りのことです。もちろんお手伝いはしますけど。ぼくらがやっているのは興業ですけれども、映画ができても興行的にはまだゼロなんですよ。ある意味では興業に向けて映画をそれから作っていくわけです。それを解ってほしいし、やる気がほしい。それを解っている人と仕事がしたいですよ。

――ぼくらが関わってきたビデオアートの領域でもそれがあって、ビデオギャラリーSCANでも多分にあったと思っているんです。SCANのコンペに通ればあとはSCANがやってくれるという寄り添い方が作る側にあって、SCANは作品を海外にも紹介していたりしたんですけど、作る側がそれをきっかけに動かなければ自立しないんじゃないかと思います。

山崎  ビデオの場合あらかじめ興業というかマーケットの部分が想定しづらい分だけ、一本作って終わってしまうというのが多いんじゃないですか?

――その部分を自分で開拓しなかったのは、特に作る側が怠ってきたことだと思います。

山崎  映画の場合も、映画そのものを作るプロデューサーはいるんですけれども、見せることまで想定しているプロデューサーは、実は少ないんです。ここ15年くらいで変わってきたのは、ひとつはミニシアターがでてきたからでしょう。小さな配給会社も増えています。そこが直に製作していたり作家と近い関係でやっているところがでてきた。それが新しいタイプのプロデューサーを作っていると思います。確かに状況を変えてきていますよ。

――それは作家本人であってもいいわけですよね?

山崎  そういう場合もあります。外国には自分の映画館を持っている作家もいますし。

――ビデオの場合は、発表の場の大きなウエイトを美術館に置いていたという経緯があります。美術館の側も公募展でビデオ部門を設けていたりしました。ところが、それは、ぼくらにとってはビデオでアートを作らないと美術館の範疇に入らないというひとつの足枷でもあったのではないかと思うんです。漠然としたアートという領域があって、美術館にとってもドキュメンタリーやフィクションは対象として考えにくい訳です。

山崎  美術館というのはきれいな形ではそれを見せてくれるんだろうけれども、おそらく全部がそんな作品ではないわけでしょう? ゲリラ的であったり、演劇的であったり、いろんなやりようがあるんだと思いますし、それはアプローチすればよかったんじゃないんですか? ビデオのみなさんは、アートという意識でやってきたでしょう? ぼくらはもっと下世話なことをやってきたんですよ。場所を成り立たせるということを、興行的にも考えないとダメだと思います。あわよくば儲けようというくらいの。それをクリアーできればなんでもできるんじゃないですか? お客さんというのは初めからいるわけではなくて、作らなければいけないんですよ。アートもお客さんを作っていかないと。ビデオは映画よりも場所的な制約も少ないんだし。

――ビデオの場合も作る側がそこまで意識を持ってくれば、山崎さんとも新しい関係が作れるんではないかと思います。 今日はどうもありがとうございました。

(1999年4月13日 BOX OFFICE 取材:佐藤博昭/山口卓司)

 インディペンデント映像のための場 を作らなければならない。だが、誰かが作ってくれるのを待つのではなく、自分の場を自分自身で作らなければならない。今回、三氏を取り上げたのは、インディペンデント映像作家はこうした場、人を利用すればよいのでは、ということで取り上げたわけではない。
 三氏のエネルギーに触れ、三氏の声に耳を傾けることで、作家個々が自分自身のための場をどう築いていくかということを考えてもらうためにこの特集はある。資金面、労力など、インディペンデント映像作家が自分自身の場を築いていくためにはたくさんの難題がある。しかし、臆するな。そうした情熱に行動力が伴えば必ずや道は開ける。インディペンデント映像作家達よ、自立しようではないか。
 
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