映像表現と学校 無礼講トークセッション
1999.11.23 発言者:佐藤 博昭、佐々木 成明、栗原 康行、高柳 やよい
  • 栗原 康行(くりはらやすゆき)
  • 1965年東京生まれ
  • 東京造形大学卒、米国イリノイ州The school of The Art Institute of Chicago 大学院課程修了。留学中シカゴを拠点にジョナスメカス、スタンブラッケージ、ピータークーベルなど、多くの伝説的映画作家に出会い、また各地で自信の上映活動を展開。
  • 92年にはジムジャームッシュと六本木のディスコに遊びに行った経験を持つ。
  • 88年ぴあフィルムフェスティバル最終選考、97年イメージフォーラムフェス入選、98オランダワールドワイドビデオフェス入選、99年極真空手山梨県交流大会一般上級の部4位入賞。
  • 現在、科学技術庁サイエンスチャンネル・プロデューサー、東京造形大学講師
  • 佐々木 成明(ささきなるあき)
  • 1963年生まれ。映像作家、メディア研究
  • 1989年武蔵野美術大学大学院視覚伝達デザイン科卒業。
  • 80年代前半から映像メディアを使用したインスタレーション等美術作品を内外の美術館で発表する一方で、プレイステーションのゲームデザインや舞台美術として映像を使用した演出を行う。パパタラフマラの舞台表現との関わり合いも多い。
  • 現在、今までに行ってきた情報メディア研究、映像分析理論を応用したムーブメントアーカイブデザインDTVソフトを研究開発中。
  • 多摩美術大学グラフィックデザイン学科非常勤講師、マニュエラ オブ エラーズ アーチスト 所属作家。
  • 高柳 やよい(たかやなぎやよい)
  • マルチメディア・デザイナー、キャラクター・デザイナー、3DCGアニメーター
  • 東京外語大学卒。コロンビアレコード勤務を経て、渡米
  • ウォルト・ディズニー創設の大学カルフォルニア・インスティテュート・オブ・ジ・アーツ映像学科、スクール・オブ・ビジュアルアーツ大学院コンピュータ・アート学科修士課程修了。
  • 96年夏に帰国。以後CGキャラクター使用によるキャラクタービジネスとアートを模索、開拓中。
  • 佐藤 博昭(さとうひろあき)
  • 1962年福岡県生まれ。
  • 日本大学芸術学部映画学科卒業。
  • 大学在学中に中谷芙二子先生とビデオアートに出会う。自分でアートだと思って制作した初の作品は、見事にサエなかった。
  • 86年日本ビクターによる「ビデオ・スカラーシップ」の第4期対象となるが、完成した作品を発表後、この制度が終了し複雑な思いをする。
  • 現在、日本工学院専門学校マルチメディア科教員、日本大学芸術学部映画学科非常勤講師、SVP代表。

佐藤  1980年代、映像という言葉はわかりやすかった。私が学生時代のそれは、写真であり、映画であり、テレビやビデオであった。カメラを介してとらえられた現実の断片が、記録されメディアによって流通する。機器や表現は異なっていても、映像は基本的なシステムを共有していたし、作る/観るという関係は明確に意識できた。当時その複合形の試みとして、ニューメディアという言葉が現われ、通信の領域に幾分かの展望が示されはしたが、今日のマルチメディアにみられるような、“使える”メディアではなかった。“映像”は形を変え、他のメディアと複雑に関係し、無限のサイクルで流通している。すでにそれは単一の表現媒体としては意識しにくい。メディアリテラシーという言葉が現われ、教育の場でその実践が模索されている。文部省は、高等学校のカリキュラムに映像表現の類を加えることを明言した。大学や専門学校でも、マルチメディア/情報デザイン系の新設があい次いだ。現在“映像教育の問題”とは何だろうか? われわれS.V.Pは、もちろん文部省的な“正しい教育”を模索しようとしているわけではない。ここでかわされた論議のなかで“学校”というとき、直接は映像表現などを学ぶ場としての、大学、大学院、専門学校をさしている。

 しかし学校が学ぶ場であると当時に表現の場、あるいは表現者のための場であるとき、ワークショップや各種のフォーラム、自主上映会や、われわれS.V.Pが行っているような活動もそうした場であると思っている。ここでは、映像制作を行いながら、教師の立場で学生と接している3人の方々にお話しを聞いた。広い意味での“学校”を視野にいれながら、映像教育の実際を検証し、そこには次へのビジョンが見える。
 佐藤博昭 SCAN VIDEO PROJECTで行っている「無礼講にする」では、毎回こういう形のトークセッションをプログラムのひとつにしています。それは、作品を作った人が、直接話をする、あるいは作品やその周辺のさまざまな状況について、いろいろと話し合ってみる、そうすることで、作者と作品との関係がよくわかるし、プロジェクトが次のステップに進んでいくと考えているからです。

 今回は「映像表現と学校」というテーマでお話を進めていきます。少し大げさなテーマ設定ですけれども、どうしてこういうテーマにしたかというと、僕が学生だった頃と比べて“映像”という言葉の意味が変わってきているという実感があったからです。機器も表現も変化していきますから当たり前なんですけれども、とりわけマルチメディアとかネットワークとかそういう方向で“映像”が展開していく場合、考え方・捉え方に大きな違いがでてきていると思います。
 そして明らかに多様化し多義性を帯びています。そこで、少し整理して考えてみたいというのがテーマ設定の動機です。それから次の問題としては、映像あるいはインターネット上の画像などを作っている側のモラルの問題、昨今、画像がらみの犯罪の話を耳にします。これは突き詰めていけば教育の問題でもあろうということです。メディアリテラシーは学校の急務ではあるけれども、実際にどんな教育が必要なのか、どういう実践が有効なのかということも考えたい。作る側も情報の発信者としての責任をもっと考えていい。
 そのあたりのことをゲストの方と一緒に考えたい、お話を伺いたいと思っています。例によってこの限られた時間で結論がでるとは思っていません。いろいろな意見が出てくればそれが次のステップにつながると思っています。

 それでは今日のゲストをご紹介します。
 僕のとなりに座ってもらっているのが、佐々木成明さんです。佐々木さんをどういうふうに紹介したらいいのかを考えていたんですが、僕が学生の頃からビデオアート作品を作っていて、ビデオギャラリーSCANであるとか、ビデオフェスティバルとか、海外の展覧会でも発表をしていた人です。今のお仕事については、後ほど紹介していただきます。
 次に栗原康行さんです。栗原さんも勿論ご自分の作品制作を続けていますし、大学の講師としての仕事もなさっています。詳しくは後ほどうかがいます。
 それから高柳やよいさんです。高柳さんは僕が勤めている日本工学院専門学校というところでも授業を持っていただいています。今日はこのお三方とお話を進めていきます。それぞれの方にお願いをした理由は、勿論学校に関わっていらっしゃるということと、ご自分でも作品を作っているということで共通点のある方々です。
 それから今日は学校の話をするわけですが、学校という組織に対しては、経営者とか理事とかそういう学校側の立場ではないので、偉い人の経営理念とかそういうことを聞きたいわけではありませんから、作り手として、あるいは直接学生と関わっている視点から、実践的な意見をうかがっていこうと思っています。では、さっそくお一人ずつ現在のお仕事とか、学校との関わりをお話下さい。

 佐々木さんからお願いします。

佐々木  僕が今日のテーマにふさわしかったかというのは悩むところなんです。もちろん僕も今は学校で教えている立場にありますが、そこで扱っているものを“映像”と言っていいのか、とにかく立場的な接点はあって、そこら辺の話なら出来るかなと思って来ました。僕自身は美大に行ったんだけれども絵が描けなかったという理由で、映像の方に進んだのが出発点だったと思っています。その後、ビデオを使った映像とその空間表現だとか、コンサートの演出とか、今はVJと言うらしいんですけど、そういうことを80年代全般にやっていました。それから、職種と言うよりも自分の興味の対象がシフトしてきて、コンピュータを使って言語を作ったり、アプリケーションソフトを作ったりというのが現在です。
 それから大学は多摩美術大学のグラフィックデザイン学科で映像を教えています。ただしこれは映像という言葉ではなくてムーヴメントデザインという科目です。ひらたく言えばデザイナーのために動画を教えるというのが基本コンセプトになっているカリキュラムです。もうひとつは近畿大学の文芸学部演劇コースというところで、演劇家のために映像を教えるという科目をやっています。映像を教えるといった場合、たいていは撮る側、カメラの裏側にいる人を対象にしたカリキュラムが多いわけですが、ここでは写る側の人たちにとっての映像を教えています。どうやったらかっこよく写るか、どうやったら演技が映えるかということ、演技者のために演出家としての僕が、どう演技すればいいかということを伝えるカリキュラムになっています。では作品を持ってきていますので、今までやってきたことなんかを順不同ですけれども、観て下さい。

<--作品上映-->

 ずっとコンピュータゲームを作ったりしています。だいたいがピンボールゲームといわれるゲームなんですが、内容はゲームデザインで、台の設計からストーリーやCGを作ることもやっています。2本目に観てもらったのは、ディレクターとしてCMをやったものです。今観てもらった“演劇を映像化する”といったこともやっています。ダンスパフォーマンスとかそういうものです。近畿大学の科目が演劇でというのはこういう繋がりからきています。あとは、佐藤君から紹介があったビデオアート、80年代的な言葉ですね。うれしくなりますね。まあそういった文脈のなかで、自分のプライベートワークとして美術館で作品を作るとかそういうことをやっています。

佐藤  どうもありがとうございます。佐々木さんとはSCANを通じて、ぼくが学生のころから作品を知っていて、たくさん作品を発表しているのをみて、カッコいいなと思っていたわけです。のちほど今度は学校での具体的なことをうかがいます。それでは次に栗原さん、お願いします。

栗原  よろしくお願いします。略歴はRe-Siteの方にありますので、そのとおりです。東京造形大学に入ってから映画を勉強し始めました。造形大学に入学したきっかけは、それまでは芸術とは無縁な人間でして、ほとんどモノを表現したいなんて思ったことはなかったんです。毎日毎日、友達と遊び惚けていまして、車やバイクを乗り回したりしてたんですが、なんかそういうことを、小説なり、映画なりにしたいなぁと思っていたんです。いま思うとなんでそんなことを映画にしたかったのかわからないんだけれども、それをどういうふうに映画にできるんだろうということを調べていくうちに、映画というのはどうやらいろんな機材が必要で、学ぶべき技術、必要な機材があるということがわかって、それで、大学か専門学校にいかないと映画はできないだろうという判断をして、機材を買うべきお金で、学校に入ってから、その映画を作ろうと思ったんだけれども、学費プラスフィルム代とかいろんなお金がかかるんですね。大学から支給されるわけではないし、どうしようかなと思っていたんですが、学校には面白い人がいて、かわなかのぶひろさんとか若松孝二さんがいて、授業を受けていくうちに、ぼくが思っていたテレビやハリウッド映画だけではなくていろんなことがあるんだと思いながら、当初の映画も作ったんです。
 それ以外には、日記映画といわれるものだとか、ビデオアートと呼ばれるものとかいろんなものを作り始めて、だんだんそれに傾倒してのめり込んでいくわけです。それで卒業する頃には、なんか物足りなさがあって、4年間で学びきれなかったものをもっと他で学んでみようと思って、シカゴにあるThe school of The Art Institute of Chicagoという所に行ったんです。いま思えば英語もほとんどできなかったのに無理やり行ってしまって、3ヵ月くらいはたいへんな思いをしたんです。アメリカに勉強をしに行くというと過大に期待してしまうんですね。でも大学という意味では日米そんなに変わりなくて、その大学に全てがあるというわけではないですね。それで、シカゴの大学を足場にして、いろんな所を回ってみようと思いました。非常に無謀だったと思うんですが、いきなりスタン・ブラッケージに電話して会ってくれないかって頼んだりとか、ピーター・クーベルカの授業をドイツに受けにいったりとか、いろんな人に会うようにつとめてきました。そんな中で自分がいろいろ影響を受けたり、人と話しをしながら作品を作っていったりして過ごしてきました。そういう経験は作品という形になったものも、ならないものもたくさんあったんですけれども、アメリカにいた2年間に学生としてやれることは全てやったという実感はありましたんで、それで学生は卒業しました。
 卒業後はプロダクションワークを通じてプロフェッショナルな映像をやっています。いま現在は科学技術庁の外郭団体でサイエンスチャンネルというのがあって、そのプロデューサーをやっています。そのかたわらで東京造形大学の非常勤講師もやっています。そこでは主に8ミリフィルムを中心にした「映像表現」というコマを担当していて、週に1度いっています。自分自身の作品は、まず卒業制作を『ぴあ』に出しまして、これは絶対1番だなと思っていたんですがカスりもしなくて、夢破れてアメリカで作った作品が、評価されたりされなかったりで、97年にイメージフォーラムフェスティバルに入選しまして、98年にはオランダのワールドワイドビデオフェスティバルに招待されて行ってきました。もっと最近だと北海道に◯バ(まるば)というところがあって、『ぴあ』で大賞をとったことがある吉雄(孝紀)君という人が頑張ってやっているスペースなんですが、そこで7月(1999年)に個展をやりました。その後香港にも招待されたんですが、そのときの作品をおみせしようと思います。『Right Wing』という作品ですが、20分くらいですので途中で止めることになりますが、観てください。

<--作品上映-->

 この作品は撮っているときは編集したり作品にしたりということは考えていなかったんですけれども、僕が日記風に5年ぐらい撮りためたものを、あるとき編集してみようと思って始めたんですが、まったく編集できなくて、それで1年くらいは撮っては繋ぎ、撮っては繋ぎとやって、まあまあの形になったときに、音でも付けてみようということになりました。
 彼女(映画の出演者)自身に小さいカセットレコーダーを渡して、自分の日常の中の思いを録ってくれというふうに頼みました。彼女も自分の日記をレコーダーにたくした。それを別録りしたいろいろな効果音と一緒に、音楽をやってくれる人に渡して、これとこれが材料だから後は頼むというふうに言ったわけです。仕上がりには文句を言わないと。途中で打ち合わせはしたんですけれども全面的に任せました。こうして出来上がったんですが、作品に長く付き合いすぎたということと、自分に近すぎる題材なんで、自分では評価できないというのが本音です。結果的にはいくつかの賞をいただいたりしたんで、思いは伝わったのかなと思っています。

佐藤  栗原さんの場合は、学生時代の経緯から察するにフィルムのテイストにこだわっている部分があると思います。今の作品も撮影は8ミリフィルムですよね。

栗原  そうです。

佐藤  そこら辺のお話しも後でうかがえればと思っています。 それではもうひとかた高柳やよいさんです。高柳さんもユニークな経歴をもっていらっしゃいます。ではお願いします。

高柳  こんばんわ。栗原さんの作品をみるまでは少し緊張していたんですけれども、リラックスした映像にこちらもリラックスしてきました。
 私はアメリカに留学しておりまして、帰国したのが3年前です。NTTの関連会社に一度入ったんですけれども、日本工学院の方から連絡がきまして、授業をやってもらえないかということになりました。担当はデジタルデザインで、2年前からやっています。私のゼミはデジタルデザインでありながらもいろんな表現を許しています。というのは私がアメリカにいたときに、あなたはデザイン、あなたは映像というふうな方向性を習った記憶がないんです。ちなみに私は日本の芸術大学のことは全然解りません。学校の事情は全然解らないままで教えることを始めてしまっています。わたしがアメリカでいっていたのはCalifolnia Institute of the Arts (以下 Cal Arts)という、ディズニーが作った大学でもあるんですけれども、反面とてもアバンギャルドな大学です。コンセプチュアルアートもあり、いわゆる総合芸術大学です。踊りもあるし音楽もあるというそういう大学に1年いて、最終的には、ニューヨークのSchool of Visual Artsのコンピューターアート学科の大学院をでています。最後の卒制ゼミはロドニー・アラングリーングラッドといって『パラッパラッパー』の作者ですね。彼にインタラクティヴのマルチメディアアートを習ってきました。日本の教育環境が解らないせいもあるかもしれませんが、アメリカで自分がいろんなことをやれた環境というのが、非常に良かったので、そういう状況を学校で伝えようとしています。今日はCal Artsで作ったファインアートのビデオとフィルムの作品を用意しましたんで、それを観ていただきます。

<--作品上映-->

 私のバックグランドを少し説明しておきますと、外語大を出ています。外語大時代は、小松原庸子スペイン舞踊団というところで、ダンサーをやっていました。それからレコード会社に就職をしまして、当時イカ天のバンドの担当だったんですね。その頃ミュージックビデオクリップを見て、これをやってみたいなぁというのが軽い気持ちだったんです。それでニューヨークに行って一度英語の勉強をしながらビデオスタジオに通い、CVIなどの技術を習いました。その後、Cal Artsでは映像の中でもモーション・グラフィックス、ビデオアートを全て含みますけれども、いかにして動きのあるアートを作るかという授業がありました。モーション・ペインティングとかそういうことなんです。授業風景がすごく変わっているのもCal Artsの特徴なんですけれども、まずコインひとつ渡されて、悲しい動きを作れとかそういうところからはいるんです。
 それで、私はもともとダンサーというバックグラウンドがあるので、即興的にものを作るというのは、非常に気持ちのいい作り方であったので、2本くらい作品を作ってみたんです。最初に線が動いているというものですが、直接8ミリのフィルムにスクラッチするんですね。レン・ライというイメージアートの作家の人に影響を受けて作った作品です。Cal Artsではいろいろなことをやってきたんですけれども、非常に印象に残っているのはビデオグラフィックスという特別なラボで、そこで学生はいろいろな機材にありつけるという環境をもらえます。次の作品はそこで作ったものです。作品を観てもらった後にいろいろ説明をします。

<--作品上映-->

 この作品はケン・ファインゴールドがキュレートしたショウで、インスタレーションで使われています。実際にはマネキンのヘッドにモニターがかかっていてそこの中で流れていた作品なんです。グラフィックについてはCal Artsで作成していますけれども、ニューヨーク大学のピーター・カラスの奥さんであるキャサリン・ルイスの指導のもとでやった作品です。コンセプトは時間と空間の概念から離れたところにある潜在意識、たとえば言葉というものを私という人が表現したらどうなるか、というのがトライアルだったわけです。ビデオとサウンドを合わせたというわけではなく、私のビデオは私のビデオ、サウンドをやる人はサウンドというふうにして出来た作品でした。私がアートということを考えると、それは自分をリリースする場、解放するスペースのような感じなんですよね。
 日本に帰ってきてからはなかなかやれない状態なんですけれども、アメリカにいたときは、いろんなアーティストとの交流の中で、いろんなことを学べたかなと思っています。学校で何をやったかということは特に無くて、強烈に覚えているのは先生たちですね。キャサリン・ルイスとか、「アニメーションというのは自分の内部から動きというものが出るんだ」と言ったクリティーヌ・パヌンスカ、この人はCal Arts の先生です。ケン・ファインゴールドはインターネットを使って完璧なコンセプチュアルなことをやられるかたで、最終的に私がついたロドニーもやっぱりファインアーティストなんですね。そういういろんな先生の中で自分を試行錯誤しながら“見つけた”という感じです。

佐藤  どうもありがとうございます。実は僕は高柳さんが以前に作られたものを見たのは初めてで、正直ちょっと意外だったというか、今の作品もコンセプチュアルだったし、フィルムを使った作品はなんとおっしゃいましたか? モーションペインティングのクラスで作られた?

高柳  Cal Artsではですね、ジュールス・エンジェルというもう当時80過ぎの方がいて、そのジュールスが元々ペインターで、絵画というのは動きがないので、彼が自分の絵画を動かしたくなったということから発して、そういうクラスというかジュールス式の授業があったんですね。生徒達は、もちろんディズニーがやるようなアニメーションのクラスも受けるわけですけれども、そういうアートとしての動き、それをビデオなりフィルムなりで作るということも習いましたけど。

佐藤  ありがとうございます。ひととおり作品を観せて頂いたりご自分のスタンスをうかがったりしたわけですけれども、ここからはお話しいただいた中にあったことを具体的にうかがっていきます。話の流れから、まずは先ほどの高柳さんのお話にあった教師と学生との関係が非常に特徴的であったということなんですけれども、もう少し具体的にお話しいただけますか?

高柳  そうですね、まず年齢が関係ないというところですね。私が写真を習った方は62才くらいだったんですけれども、ファーストネームで呼び合うような親密さがありました。親密と言ってもこのやり方を一から十までというのではなくて、コミュニケーションの中でこんな写真がいいぞとか、そういう刺激を受けることです。アメリカでは細かい指導というのはないですね。現役のアーティスト、デザイナー、フィルムメーカーが来てその場でなんか作るんです。
 3Dアニメーションとかビデオなんかをその場で作りながら、そのエネルギーを感じました。だから私も、噛み砕いて文章のように教えるのではなくて、やっぱり自分自身が何か制作をしているとか、そんなパワーを持ってないと伝わるものがないかなと思っていますね。

佐藤  そうすると作る環境としてはワークショップ的なものが多かったということですか?

高柳  そうですねワークショップが多いです。特にCal Artsはワークショップどころかアーティスト村なんですね。既に有名なサックスプレイヤーがまた何かやりたいといって来ていたりとか、アニメーターが自分の作品を作りたくてとか、ここがポイントなんですね。既に出てしまった人が、また作りたくなって選んで来ている。そういうコミュニティーの中で、チームを組んで作っているというのがCal Artsだったんですね。
 ですからCal Artsにいたときは非常に私は落ち込みました。日本とあまりにも環境が違うので。日本はカリキュラムが与えられて、その中で安心感は確かにあるんでしょうけれども、Cal Artsはほったらかしなんですね。だけど全員が何らかのバックグラウンドを持っていて、さらに何かを作りたいという意志を持って入ってきているわけですから、そこでチームも組めるし、機材環境があるので作品もできるというところでした。

栗原  高校までというのは映像との出会いが一般的なものでしかないですよね。それで映像の学校なんかに入ると、そこではいろんな人が活動をしていて、それに対する反応はふたつあると思うんです。ひとつは自分が思っていた映像、ハリウッドとかそういうもの以外はいやだよと言って卒業する人。もう一方はそれも面白いな、やってみたいなと思う人でしょうね。

佐藤  変わった先生っていっぱいいたんですか?

栗原  今でもいますけれども、印象に残っているのは、かわなかのぶひろさんが言ったことで、学生が課題の提出が遅れてその言い訳を、バイトが忙しくてとかいろいろ言っていたときに、「それならさっさと辞めちまえ。生活するだけなら犬猫にも出来るぞ」と言いきったときには驚きましたね。

佐藤  佐々木さんが行っていた武蔵野美術大学は、今では映像学科がありますけれども当時映像系の学科は無かったでしょう。

佐々木  僕は映像教育は受けていないんですよ。グラフィックデザインだったので、ほとんどグラフィックのことしかやってなかったですね。浦山桐郎監督がやってきて映画を作るという授業が少しだけありましたけど、遺作の『夢千代日記』を撮影されていた頃で、1年間のカリキュラムなんですけれども、なんと半年経たないうちにお亡くなりになったんですね。
 それで僕らの映画は途中だったんですけれども、お葬式を手伝って単位をもらったんです。実は3年生の時に写真の授業もとったんですよ、その先生も途中でなくなって、やっぱりお葬式手伝って単位もらったんです。というわけで、映像の先生と出会うと途中で終わってしまったんですよ。

佐藤  でも学生時代にビデオを作っていたでしょう。そういう環境はあったんですか?

佐々木  無かったんです。映像をやりたかったのは事実なんですけど、どこにでもいる映画青年のように「映画が作りたい」と思っていたんです。それで映研に入るんですけど、恋愛青春映画が次々に出来ていて、作っているものはつまんないんだけれども、先輩たちは一生懸命苦労話ばっかりしてるんですよね。こんなつまんないものを一生懸命作らなきゃいけないのかと思って嫌になって、それで横を見たらビデオを作っているサークルがあったんです。そこに高校時代から好きだった女の子がいて、それだけの理由でそのサークルに入ったんですけれども、そこにビデオアートをやっている人がいたんです。なんか見たこともないようなものを作っていて、それが櫻井宏哉という人だったんです。作っているもはなんか気持ち悪いし、わかんないし、つまんないしと思ってたんですが、彼の作品は世界的にも評価されていたんですね。この世界はなんなんだろうと思って、でもこれは僕にも出来るなと思ったんですよ。
 それで始めたんです。ところが機材はなかったんで、櫻井さんがやってたように学内にある、いろいろなビデオ機材を借り集めて編集機を作るということをやりました。再生機として置いてあるビデオデッキでしたから、はじめからセットになった編集機ではなかったんです。それで先輩から渡されたのが、ビデオアートのテープとかではなくて、ビデオ制作技術書という配線図なんかが載ってるやつだったんですよ。こんなこと覚えないと出来ないのかと変に思い込んでいて、編集機を組み立てるとかテレビを作るようなことを学生の時にやったんです。今思うとそれがいい味になったと思っているんですけど。

佐藤  佐々木さんは学校で教える立場になって、教える上で大事にしていることというのは何ですか?

佐々木  実は学校の先生というのをいろんなところでやってきていて、大学出てすぐに専門学校の先生をやったり、CGの学校だったり、日活の専門学校も行きました。基本的なスタンスはアルバイトだと思っています。自分はプロではないという意識で。
 僕が基本として守りたいし、教えたいというのはすごいつまんないことです。映像を作るというのはひとつのコミュニケーションですよね、どう伝えるか、いかにうまく伝えるかということなんですけれども、そういうことは言葉のコミュニケーションといっしょで、常識で考えればたいていのことは出来るんだということです。初めてあった人には丁寧な言葉を使うとか、少し親しくなったらタメグチも許されるとか、大勢の人の前だとこういうしゃべり方だとかそういうことなんです。これを解ってくれればいいかなと思っています。
佐藤  栗原さんはどうですか?

栗原  僕のクラスでは、今や化石と化している8ミリフィルムを使っているんですけれども、それぞれ作っては批評し合うということをやっています。その中で、技術を伝えることも大事なんですが、それが自分にとって何なのかという視点から、きちっと論じていく癖を身につけて欲しいと思っています。他の人の作品でもいいとかつまんないとかと言うことではなくて、何でこういうふうに撮ったのかを考えるようにしたいんです。それは映像のプロにならなくても、いろんなところで必要じゃないかと思っています。

佐藤  確かにおっしゃるとおりで、論じるというのは大切だと思いながらも、学校でさえも論じる場を作るのが難しくなっていると思うんです。作品を観たときには「どうだった」というようなことを聞くんですが、それは教員のテクニックとしては上手じゃないなと思うんです。先ほどの高柳さんのお話にあったように、ワークショップのように、作りながら考えて論じるような、そういう環境を作りたいんですけれども……

栗原  高校までだとまず無いですよね、論じ合う授業みたいなものは。映画を見せても好きとか嫌いとかしか言わないんですよ。「大学に来てきちっと論じる技術を身につけるというのはそういう言い方じゃないでしょう」というのを指摘してあげると、考えるようになるんですよ。

佐藤  高柳さんはいかがですか?

高柳  私は自己本位で悪い先生だと思うんですけれども、学生に何か伝えるというのは考えてないですね。こういうふうに自分を持って行くんだというのは当てはまらない気がしているんですね。特にニューヨークにいるときに思ったことなんですけれども、先生が現役で何か作っていて、それを見ているだけでもいいという所がとても好きだったから、私は自分自身が何かプランニングして制作する人でありたいと思っています。学生といっしょに私も成長すると思ってますから、その中に学生がいるような関係にしたいんです。

佐藤  佐々木さんは、もちろん仕事としては依頼されて映像を作るわけですけれども、僕は学校ではCMとか他人の曲のミュージッククリップとかは薦めていないんですね。というのは頼まれもしないCMを作ってどうするの?っていうのが基本的にあるんですよ。

佐々木  いや、いいんじゃない? プロモーションビデオとか、CMでも結局やりたいものがあるわけでしょう。そのフォーマット、カテゴリーが何であるかと言ったときに、テレビの画面であると。着地点がそこで、自分のやりたいことがCMとかプロモーションビデオと呼ばれるものにすごく近いものだったら、そこから始めるということはすごく正しい。そこに執着しているんだったらいいんじゃないですか? 失敗を経験するためにもそれはいいと思うんですよ。それでも作り続けていればそのうち頼まれるかもしれないじゃない。

佐藤  僕は考え方を強制するつもりはないんですよ。でも制作のスタイルから入っていくということは学校ではよくあることで、今あるスタイルに合わせて作っていくというのはどうかと思っているんです。栗原さんは先ほど、プロに通じる技術というものとまた違う個人の表現みたいなものを論じ合うってことをおっしゃってましたけど、どうなんでしょうか?その、プロであるという事と……

栗原  映像って大工と彫刻家が、同じ土俵で論じあってるみたいなところがあって、いわゆる大工っていうのは頼まれた仕事であって、職人であるわけじゃないですか。これは否定できない。彫刻家っていうのは、芸術として、まぁやるわけですよね。
 映像ではその境界線がハッキリしなかったりとか、あるいはそこを無視して議論するところがあるんだけれども…… 以前、ク−ベルカの授業を受けた時にいいこと言うなと思ったのは、「そこに写ってる人とか美しい景色に、頼った映像表現をするんだったら、それは“表現”ではない。美しい景色をほんとに堪能したいんだったら、その場所に行け」と。それはその通りで、それを映像に撮って見せても何の意味も無いと。つまり映像の美学っていうのは、たとえば景色を用いたものなんかは出てきてもいいんだけど、それは映像として美しいかが100%すべてなわけで、その景色そのものが美しかったなあという議論が全く関係無いんだって言った。
 それが“頼まれ仕事”と“芸術”の違いなんだろうと思うんですね。同じフィルムなり、出来上がったものをみると二つの議論が出来上がっちゃってて、それをどう考えるかってのがひとつあると思うんですよ。それから表現することに関していえば、「何を表現したいの?」ということことが無い世代だと思うんですよね。
 このあいだもプロの仕事として、科学技術の理解/増進をドラマによって図るというのを予算を通してやったんですけど、……名前は伏せますが、著名な、第一線で活躍しているプロダクションのディレクタ−とみんなで議論したわけですよ。僕は好きにやっていいですよって言ったんです。まあ12回シリ−ズで、極端な話、半分くらい失敗してもいいです、それから好きな事いっぱいやって下さっていってやらせた時に、「栗原さん、やりたいことやって下さいって言われても困るんですよ、なんか番組つくりましょうよ」って言うんですね。放送モノである以上、それはある種のルールであるんですけど、その中でも、やっぱりやりたいことをやればいいっていう幻想が僕のなかにあるんです。自分にやりたい事あるだろうと。頼まれ仕事やる前にね。たまたま仕事でクライアント側であるプロデュ−サーが、やりたい事やって良いって言った時に、「何やればいいかわかりません」って何人もディレクタ−が言うわけですよ。この道10年、20年やっててもですね。それじゃあ本末転倒だなってすごく実感として思うわけですよね。

佐藤  高柳さんはどうですか? ビジネスとしての教育と、先ほどの高柳さんの映像は個人的な表現だっておっしゃってましたけど。

高柳  教育ですよね。……ちょっとむつかしいですね。帰国する時にケン・ファインゴールドがこう言ったんですね。「君は大丈夫か? 日本に行ったら、ファインア−ティストであろうが、コマ−シャルの仕事をやらなきゃいけないぞ」って。それがすごく記憶にあるんですけれども、それで、やっぱり日本に帰ってきてからは、ずっとビジネス寄りです。特に私は某CGスクールなどでアニメ−ションを教えて、ソフトイマ−ジュやマヤも教えて殆どの3Dのアプリケ−ションとか、デジタル関連、Webも全部教えてるんですね。どうしてもそこらへんから派生するものを、生徒はコマ−シャルなりビジネスと思ってしまうんですね。
 自分としては、別にアプリケ−ションを1から100までキレイに教えないし、もう13年くらいやってますので、すぐに変わるのは分かってますから。大事なことはそれらを使ってデザインをするっていうことなんですよね。そういうのに目覚めてくれる人が少ないんですよね。どうしてもアプリケ−ションを覚えればいいのかなっていうスタンスでいる生徒が多いんですね。
 それから、私の映像はですね、アプリケ−ションは一切使ってないんですよね。ビデオの機材と私のプログラムでカラ−とかパタ−ンとか作ってるんですけれども、そういうファイン・ア−ツですね、そういうものもできるわけですよね。ですから、私としては、ビジネス寄り、またはファインア−ト寄り、両方を絡めてやっていく。……自分の希望としてはファインア−ト寄りなんですけれども……生徒の目を見て決めますね。

佐藤  高柳さんとしては、環境が許せば、やっぱりア−ティストでいたいですか?

高柳  最初は、そうしていたかったですよ。ある学校にですね、ア−ティスト・イン・レジデンスって言われて、喜んで行ってみたら、そういう状況でなかったんですね。

栗原  アメリカにいて思ったんですが、わりあいとアメリカのいいところばかりが伝わる傾向があって、アメリカのア−ティストっていうのはレジュメをしっかり作って、履歴を作って、で、いろんなグラントが向こうにあるんですよ、補助金制度とか、政府がやってたり企業がやってたりするんですけれども、年中それにapplyしてるじゃないですか。僕が違うなぁと思うのは、それはプロのア−ティストとしては非常にすばらしい事なんだけども、よくボヤキを聞いたのは「あのグランツがとれないから作品が撮れない」っていうのは僕は本末転倒だと思うんです。
 グランツがとれないから撮らないんじゃなくて、もう、苦渋の選択で職業が全然違うけど、ドカチンやりながら芸術家やってるって人の方が僕はよっぽど偉いと思うところがある。年中それにapplyしてることが、純粋な芸術家であるいうのが、アメリカのいい部分として伝わっているとしたら、僕は補足しないといけないと思うわけですね。

佐藤  それは、ものすごく積極的に、いろんなとこにアプロ−チして、なんとかお金を持ってくるという、制作のシステムの中に分業みたいなのがあるとか、個人がやらなくても、チ−ムの中でお金を取ってくる人はこの人達、この人はディレクションっていう……

栗原  ア−トビジネスってみたいなところもありますね。アメリカの場合、ア−トそのものがビジネスだっていう考え方もありますけどね。

佐藤  佐々木さんはどうなんですか? たとえば自分の作品を作り続けていいという環境だったら。ビジネスとしての仕事とか・・

佐々木  あの、長続きしないんですよ、何事も。僕はバランスだと思うんですよ。自分にとってのバランスがあると思うんですよ。仕事でモノを作ってく事と自分でやりたいものを作っていく事って、必ずしも自分の生活とかポリシ−とか、思想とか、考え方の上で、2つに分ける必要はないんじゃないかと僕は思っている。たとえば「好きなもの作っていいよ」っていわれた時にはもちろん作る。作りたいモノもあるし事実やってる部分もあるけど、だけど、社会的な状況下を考えた時に、“作る場所が無い”とか“お金が無い”とか取りざたされると同時に今度は、“発表する場所が無い”っていうことがあるわけでしょう? だったらそれを仕事というか、誰かとのユニットとなって上映できるような土壌に持ち込んだ方がだんぜん面白かったり、反対に仕事でやってるものが、別のところでア−トとして評価されたりっていう……。
 そうだな、僕は自分が作ってるモノが誤解されんのってすっごい楽しみなんですよ。本人はその気で作ってないのに「すごい」って言われたり、本人すごい良いと思って作ってるのが、「つまんナイ」って言われる誤解だとか、これ、誤解じゃない方が多いんだけどね。自分が思想的な背景とか持たずに作ってたのに、ほかのひとにとって、涙を流す程すばらしいものに見えてしまったと。これってすごく美しい誤解だと思うんですよ。そういうのがおこる状況に自分がいたいってのがすごくあるわけです。それはひらたく言えば、社会とのつながりは常にもっていたいし、社会から刺激を受けて、それから、社会で自分がどうとらえられるかっていうやりとりが行われる環境を常に持ちたい。僕は単純に、日本でのいわゆるア−ティスト、自分の好きなモノをただ作ってただ発表するっていう土壌にだけはおさまりたくない。

来場者からの質問  根本的な問題になると思うんですけど、みなさん学校で教えられていて、そして今回のテ−マに則して教育に問題があると思っていらっしゃると思うのですが、その問題をどうするのかには興味があるので、ぜひ教えていただきたいです。

佐藤  この問いには、これからの“提案”なども含めて、答えていただきたいです。高柳さんから。

高柳  日本は18、9才で専門学校なり大学に行く事を強いられるわけですよね。その時点で「じゃ、僕はフィルムメ−カ−になる」とか「ビデオア−ティストになる」っていうようなことが、漠然としてると思うんですよね。私は学校出て、色々歩んでるうちに、ある時自分の選択の“場”としてイコ−ル学校というものを選べた年令がなんと10年後、だから殆ど30に近い時だったんです。たとえばワ−クショップを受けたいとか自分はこういうものやりたいとかいうタイミングで、そういう選択の時期になるんですよね。その時に学校を選ぶと非常に良い結果を生むんじゃないかなと。

栗原  君(質問者へ)は学生ですか?
 学生であることが免罪符になって、大学生だからブラブラしてっていう人がやっぱり僕のクラスなり周りでも多く見られると思います。それはやっぱり非常に問題です。それは、映像との関わりというより全体の問題だと思う。免罪符をかざしてですね、ブラブラしてるだけなら、僕も刺激をうけないですからね。僕がいつも言っているのは、僕はたまたまここへ来て先生という立場をとっているけども、君たちのこともライバルと思ってる。勝ってるときもあるし、負けるときもある。
 それで、もし君達が自分の事を天才だと思って、人と関わらずに人に頼らずに生きていって、大成できるんだったら、すぐに学校を辞めた方がいい。それは皮肉でもなんでもなくて、そういう天才は何万人か何百万人の中に一人は必ずいますから、もし自分がそうだと思うなら、やめて一人で社会に評価されればいいと思う。もしそうでなくて凡人だと思うんだったらやっぱり血みどろになってですね、努力して人と関わって、人の良いとこ盗んで、人と刺激を受け合って、大学も選んできたわけだから、一生懸命やればいいと思うわけですね。

佐々木  学校にはいいところもすごくあるけど、無駄が許されるのが学生時代だと思うんですよ。回り道するのか無駄にするのか。ダメなモノに出会うと「ダメだ」って気付くわけですよ。ダメなモノに出会えば頭を使って、じゃあどうすればいいのかとか、自分でどううまく使うかとか考えるわけです。逆に言えば、学校がダメっていうよりかは学生が自分達が受けてる教育っていうものをどう判断するかっていう才覚を問われるべきなんではないかと。ダメなんだったらダメなところを、どう上手く使ってやろうってのを思っていくほうが、結構楽しめると思うんですよ。そっちの方が面白いんじゃないかなぁ。
 それから、学校教育に絶対足りないのが、単純にマネ−ジメントです。ア−トマネ−ジメント。これは自分達が、どうやって表現者としてやっていくかというところ、就職するなり一人でやっていくなり、ファミレスでバイトしながら作品作っていくなり、いろいろあるわけですよね。だけどね、楽した方がいいんですよ。楽した方が、自分の時間が持てるわけです。そうなると単純な話、いかにお金を手に入れるかってことにかかってくるわけですよね。
 先ほど、向こうのア−トをやっている人が日本のと違っているみたいな話で、助成金とかね、そういったものの取り方とか、企画書の書き方とか、金出してくれるひとにどううまくしゃべるか。いかに自分の作品を有利な所に持っていくか。作るうえでの金のとり方、見せるうえでの金の使い方、生活するための金の使い方、そういうことを全て含めてアートマネージメントと言えると思うんですけれども、そこが一番欠けていると思うし、これからやらなければならないことだと思います。

佐藤  まだまだ、お話しを伺いたいんですけれども時間切れです。今日はどうもありがとうございました。
 
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