インディペンデント映像の場 土屋 豊×水由 章×山崎陽一(中)
誰からも何も制限、そして拘束されず、決して巨大資本に対してへりくだることなく、あくまで自分の意思を全うし、貪欲なまでに自身の映像表現を探究し続け、それを作品として提示する作家をインディペンデント映像作家と呼びたい。おそらくここで定義したインディペンデント映像作家が企業社会の中で己を全うするのは困難だと思う。なぜなら企業は、こんなわからずやは人材としてやっかいで仕方がないからだ。
そのインディペンデント映像作家が生きていく道は険しい。作品を提示する場が現在ほとんどないからだ。ビデオが普及し、誰もが低コストで映像作品を手懸けることができるようになったというのに、インディペンデント映像作家が作品を提示する場が極端に少ないというのはどういうことなのだろうか。再度インディペンデント映像作家の定義を読みなおしてもらいたい。冒頭に誰からも制限されずとあるが、場がないというのはすでに活動を制限されているではないか。これではインディペンデント映像作家ではない。インディペンデント映像作家はよく自覚すべきだ。いい加減誰かをあてにするのではなく、自分自身で場を作らなければならないのだということを。
ここで紹介するのは、
積極的にインディペンデント映像作家に場を提供し、サポートを続ける面々である。土屋 豊氏は自主制作映像作品の流通販売業務を行う「VIDEO ACT!」を開始させ、映像実験誌「Fs」を発行する水由 章氏は個人映画の配給を始めた。この2人に共通しているのは自身が映像作家であるということだ。インディペンデント映像作家が今、この2人のエネルギーに触れ、声に耳を傾けることは必然だとSCAN VIDEO PROJECTでは考え、取材を試みた。そして「BOX東中野」である。「BOX東中野」はあまりに特異な視点で映像作品の紹介を続けてきた。情報誌でその上映スケジュールを見ると、他の映画館とのあまりの違いにこれで経営は大丈夫なのだろうかと、はらはらしてしまう。その代表である山崎陽一氏に会ってみたかった。話しをしてみたかった。そうすることで何かが得られるという確信があったわけではないが、なにしろ会うべき人なのだという気がしたのだ。
『個人で映像を制作し、
発表する行為と同じように、“個人で手懸ける映像”についての書物の制作、発行を個人が行うこと。他人に依存するのではなく、自分たちの手で始めることが必要です。』(「Fs」の巻頭文より)
水由 章氏は
エネルギーを過剰に放出しながらも、どんどんとまたエネルギーを蓄えていくのである。彼に会ったならば、それが一目で分かる。そういう男である。水由氏の周辺が俄に騒がしくなってきた。「Fs」に力を注いできた水由氏が、また少し、新たなもののためにエネルギーを放出しているらしいのだ。会わねばならないと思った。そのエネルギーにもっと火をつけたいと思った。そしてそのエネルギーをもっといろいろな人に伝えなければいけないと思った。
- 水由 章(みずよしあきら)プロフィール
- 1961年生まれ。
- 1985-89年イメージフォーラム・シネマテークディレクターを経て、90年から映像ネットワークVIEWの中心メンバーとしてフェスティバルや多数の上映会を行う。
- 92年からは映像実験誌Fs(エフズ)を編集・発行、現在第7号を準備中。また、(株)ミストラルジャパン代表として98年から映画の配給・ビデオ販売事業を開始。自ら映像作品も手掛け作品数は約20本を数える。
- 主な作品として「押し続けた時間」(16mm/'89)、「轍のなかで」(8mm/'91)、「KEEP THE LEFT」(VTR/'93)、「瞬息」(16mm/'97)。
――「Fs」を始めて何年になりますか。
水由
92年から出しているんですよ。でも、1年に1冊のペースだったのが、最近では合わなくなってきたんです。本来99年で8号ですが、まだ7号を出していない。今年の7月までとは思ったんですが、仕事が忙しくてそれもつらいかなと。しかし、おかげさまで6号より前のバックナンバーは在庫切れの状態です。
――最初の頃と今とでは、変化はありますか。
水由
僕の気持ちの中には、10年で10号出したら、取りあえずは一区切りというのがあって。どうしてかというと、「Fs」を出すことによって他の人たちが、例えば「Fs」で書いてない分野のことですとか、「Fs」で言うことは信じられないし間違ってるから別のものを出そうとか。ようするに「Fs」がきっかけになって、他の人がいろいろなものをだす状況になるのが一番いいと僕は思ってます。「Fs」だけが個人映像のための場であるとか、ビデオアートや実験映画を引っ張っていかねばなどという思いは全くないです。
だからまず作りたいものを作って、それに対していい意味で刺激を受けて「Fs」と違う方向のものが出てもいいし、反「Fs」のようなものが出てもいいと思っているんです。まあいずれにしろ、記録として何かを残していかないと。「Fs」のやってることは、今はインターネットでも見れる時代になりましたが、やはり資料的なものとして、実験映画の要素、実験映画評論、他の雑誌には載っていない個人映像の記録を作っておきたいというのがあるんです。その場限りの週刊漫画のようなものじゃなくて、何度も汚してもらって、捨てるに捨てられない本として、本棚の隅にでも置いてもらえればいいなと思っているんです。
――そして最近では、水由さんは「Fs」の活動とは別に、個人映画作品の 配給も始められたということですが。
水由
最初にやったのは、黒澤 潤、黒坂圭太という映画作家で、作品も既に公開しているもので、新しいものではないんです。行く行くは新作もやっていきたいんですが…。僕はもう少し、個人ベースで作った映像作品というのを紹介したかったわけです。どんなに良い作品でも、映画館にお客さんが入らない映画というのがあるんですね。で、今回はBOX東中野で4週間のレイトショーをやって、そのあとビデオで出すということにしました。
今年の5/25に黒澤 潤監督のビデオを2本、7/25には黒坂圭太監督のビデオを2本発売します。これはミストラルジャパンという私がいる会社で始めていくことになりました。この他にこれからの計画なのですが、あまり映画館にかからない、かけられないと言った方がいいのかもしれませんが、商業的に見込めないけれども素晴しい作品をぜひビデオにしていきたいと思っています。まあどうやるかは計画中なのであまり言えませんが。僕としては個人で作った映像作品を何百本、何千本売らないとペイできないというのではなくて、何本か出せばペイ出来るような方法で何かできればと考えています。
――当然のことですが、考え方の比重が商業主義に偏りすぎると出来ることが少なくなりますよね。
水由
ええ、何本以上売れればペイできるというラインがあるわけですね。そこを越えるか、越えないかという判断は僕にもつきますが、超えなかったものは今までの方法ではビデオで出せないわけです。
――それが質的に悪いものかといったら決してそうではないわけです。だから、その仕組みを僕らも変えたいんです。で、どうしたら変えられるのかというと、それは作家が自分自信をプロデュースしていこうという意識をもっと高めないと駄目ではないかと思うんです。
水由
よくわかります。昔の作家というのは、作って終わりみたいな形があって、どこかで上映してください、自分は作るだけなのでという話は多かったわけですよ。そういう意味で90年代の人は、だいぶ自分達でやるという形が増えてきてはいると思います。以前はいろいろなところで開催されているコンペティションにとりあえずはだしてみようという話ばかりでしたよね。それから見れば、だいぶ…いや、どうなのかな。「ぴあ」のフィルムフェスティバルが始まった頃に比べればやっぱり少ないことは少ないような気もします。
――やはり作家が何かに依存していることが多いんです。例えばビデオアートだと企業に依存していた部分があって、企業からお金が消えていった後はビデオアートという言葉もすっと消えていきました。作家も巨大資本に寄りかかっていたんです。しかし日本経済の泡が歪んだ形にふくらんだ果てに破裂したら、作家は企業社会に対して不平を言うわけです。不満の多い状況を自らが切り開く努力をしないで、ただ愚痴をこぼすだけなんですよ、作家が。僕は作家はあくまで社会の中で自立し、自分の活動を切り開くための行動力を身につけなければいけないと考えています。
水由
どんなに劣悪な状況の中でもいちばんいい状態で見せるということを作家はやるしかないわけです。それでも作りたいという欲求が大切なのです。そこで何かがなければできない、声がかからなければやらない、締め切りがなければ作れない、それではしょうがない。
――さて、今後の水由さんの活動についてお聞きしたいのです。
水由
実は2000年の秋に神戸で個人映像のフェスティバルを計画しているんです。まだ一回目の発足会議をやっただけなのでどうなるかはわかりませんが。小池照男さんと僕が発起人なんです。そろそろぶちかまさないといけないなと。まあ10年に1度はぶちかますかと40~50代の年寄りが言ってます。死ぬまでにあと2、3回はできるかなって(笑)
――動いてますね。
水由
それはもうぶちかますしかないな、ということです。個人レベルでやってます。会社の仕事ではないです。ですから最近こういったフェスティバルがないからということで行うわけですが、自分の作品が後回しになってしまってそれが一番いけないんですが。
――まあこれからもまだまだやることがありますね。
水由
神戸でのフェスティバルについて人から言われてしまいました。相変わらずメンツは年寄りばかりじゃねえか。若いやつがいねえじゃねえか、と(笑)。
(1999年4月9日 ミストラルジャパンオフィス 取材:山口卓司/中沢あき)
インディペンデント映像の場 土屋 豊×水由 章×山崎陽一(下)へ続く
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